記録

つらつらと、、、

オリンピック


甚だ見る気にはなれない。なぜか、それは心に閉まっておく。ここで言う気にはならない。しかし、このオリンピックのために努力してきた人達のことは尊敬している、という“ことわり”をいれるところまでがテンプレートであろうか。


選手達が、お互いに試合後に握手をする。例えば転倒に巻き込まれた選手同士が握手をする。それが、スポーツマンシップだ。


スポーツマンシップ、それは、そうあるべき姿だ。


そうあるべき姿に人間は追われている。時々それが苦しくなる。そうあるべき、で、そうあるべきじゃないと世界は崩れてしまう。それに救われることもあるし、それに苦しめられることもある。

とふと思いました。

(500)日のサマー


dtvに(500)日のサマーがアップされていた。btsのライブ見たさに登録していたが、意外とたくさん映画がアップされていてなかなかやめられない。サブスクの沼はマジで深い。


この映画は昔見たことがあった、なんだか面白かった思い出があったからまた見たいなとなんとなく思っていた。

5年前の私は、フィルマークスに「切なくて切なくて良い」と感想を残していた。

なんとも小っ恥ずかしい感想だ。21歳の私はこの映画を見て、切なくて良いと思ったのか。なんと。2021年、26歳になった今、良いという感情は生まれず、ただただ酷な気持ちになった。

誰かを追いかけることの辛さも、背伸びすることの苦しさも、全部全部知ってしまったからかもしれない。昔は、それすらに憧れて、なんならサマーのような女の子になりたかったのだろう。それは今でもなりたい。あんなのは、全女子がなりたい。余裕で、余裕じゃないところもあって、自由で、それが全て魅力的で。

運命なんて、信じたくないよな。

運命とか、運のいい人たちが言う戯言だよな。

私も諦めた頃にオータムに出会えるのかしら。



黒歴史


なんだかなんとなく色んなことがあって、このブログの存在を思い出してしまった。大したこと書いてないし、そもそも投稿してる数が少ないし、やっぱりまとまりのない文章だし、色々ウケた。でも、そういうのって後から見ると全部ひっくるめて愛おしくなったりするよね。


大学生の頃の私が思い描いていた未来にはいないこととか、転職活動にも踏み出さずウロウロしていることも、どんどん性格が変わっていっていることも、何もかも含めて後から見れば黒歴史だよな。


どんな大人になりたかったっけな。あと60年の人生どうやって生きようかな。

毎日投稿

 

続けることって難しい。

成果がないと、人はなかなか続けることができないものだ。

 

毎日投稿しよう!と意気込んでみても、

続ける自信はないもんなぁ。笑

 

国試まであと少しになった。

ストレスというものをここまで直に感じる日々はとても久々で、緊張感と闘いながら過ごしている。

わたしはこういう時、生活の大切さを思い知る。生活が私たちのすべての活動の土台であり大部分であるから。

 

anoneのドラマであのねさんが

「生きなくていいいじゃない、暮らせば」みたいなこと言ってましたよね。あれですよ、あれ。

 

わたしは、身体はそこまで弱くないんだけど、不安がすぐに胃腸だったり頭痛だったり、何かしらの身体症状として現れる。それにすごく、悩まされて悪の循環に陥ってしまう、なんてことはよくあることなのです。

今、やっとスパイラルから抜け出せそうな気がしている。

 

そういう、本番が目の前に近付いた時、わたしはどうでもいいやー!ってなってしまう。目の前の現実から目を背けているといえば確かにそうかもしれないが、そのくらいで挑むのがちょうどいい気もしている。

 

そういう気持ちになれるのは、それまでの努力の蓄積がわたしの中にあるからだと、信じよう。

 

今日のブログは、自分を正当化するためのブログでした。レビューとか、そういうの書きたいのにな。なんもしてないからな、最近。笑

 

では、また。

 

 

南瓜とマヨネーズ

 

田舎の方の県に住んでいるので、やっと上映されたのことで見に行ってきました。

 

南瓜とマヨネーズ

 

キャストが私好みで、川島小鳥さんが撮った写真が出ていたのとかもうめちゃくちゃ私好みで、絶対見なきゃー!!と思っていた映画。

 

乱暴と待機」の監督か、と。あまり覚えていないけど、山田孝之が絶妙に気持ちわるエロかったなという印象。笑

 

で、感想、一言にまとめると…

『そりゃそうなるわ』

つまり、共感っていうことです。でも、私はあまり恋愛経験がないし、たいきゃんみたいな可愛いクズ彼もいたことがなければ、オダギリジョーみたいな格好いいクズ彼もいたことがない。出会ったこともねーわ。

でも、想像する限り、私もツチダと同じような結末になる気がする。そういう友達の相談もたくさんのったことがあるから何となくわかる。

せいちゃんのような、手の届くところにある、居心地の良さを一度手に入れたら、女はそんな簡単に手放すことはできない生き物だと思う。次、必ず誰かが愛してくれるという保証があって、そちらのほうに心が惹かれていれば、ヒュイって乗り移っちゃう怖い生き物でもあると思う。

ツチダが、ハギオに、「ずっと一緒にいてくれる?」って聞いたシーン。わかる、わかるよ、求めたくなるよね、保証いるよね。ってなった。どんどん周りは結婚し、子どもができ…という女の独特のライフスタイルの呪縛が襲いかかり、何でもかんでも気軽に大きな決断はできなくなる。でも、寂しいから、会う…

孤独や寂しさ、は常に私たちの側にあって、それが私たちの選択に大きく影響しているのだろう。孤独や寂しさがなぜ現れるのか、とかそういう問題は置いといて、もうこんなSNSも発達した社会で、周りと比べずに生きろとそんな難しいことを言われたって、まぁ…難しい。ステレオタイプが完成され、それがテレビや雑誌で大々的に掲示され、それを見て羨ましいと思うに決まっているだろうが。そんな、意志強くねーよ、ってなる。

ツチダには、これから分かれた2人と良い関係が築かれ、他に現れたいい人と結婚しました。チャンチャン。という結末になることを望みたいが、現実は、またズルズルいっちゃったりするのだろうか…

これから、そういう人が現れたら、自らが実感することになるのかも…恐怖…

 

 

ということで、恋愛経験が少ない女子の意見でありました。

 

 

まぁ、正直そんなことより、最初の方のたいきゃん(太賀)の笑顔にやられて、最後の歌ってるところにやられて、もうわたしの頭の中は、大好きな俳優さんでいっぱいである。笑

 

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そして、映画っていいね。やっぱり。

国試終わったら、また浴びるように見よう。

 

 

尖る

 

尖る、ってなんですかね。

最近よく考える。昔は尖ってた、今は丸くなった、とか言うじゃないですか。あれ、なんなんですかね。

社会に適応する、っていうことですかね。

なんだよそれ……

 

私も、自分で自分のことを尖ってるな〜〜って思う時があるわけですよ。周りからも言われますし、でも、言われた時思うんです。分かってるよ、って。

別に、変わってるね、って言われたい訳じゃない。目立ちたいわけでもない。でも、やっぱり尖っている根底には、私は周りと違うという主張が含まれているのだと思う。子どものような感情だ。

おもしろくないバラエティやドラマ、映画におもしろい!とか言っている人達や、良くも悪くもミーハーな人達とは違う、と言いたいのだと思う。

でも、自分もそこまで周りと違わないってことが分かってるから、そうやって違うフリをするのだろうな……

 

…というふうに、いつも自分の性格や感情を分析して、あー格好悪、ってなっています。だからやっぱり、尖る根底には、自己承認欲求があるかもしれない。そうじゃない人もたくさんいるかもだから断定はできないけど。

だからやっぱり、丸くなるっていうのは、社会に適応するってこと、つまり自分の考えに自信を持ち、むしろ自分の考えっていうより周りにいる誰かのために生きてたりするのかな。

わっかんね。

そんなのつまらなくね?とか言っちゃいたくなる。

 

なんだ、これ。ブログこんなのだっけ。笑

 

 

 

 

きっとプロローグ

 

文章を書くということから、どのくらい逃げて来ただろう。しばし、文章を書くということと向き合いたいので、ブログを始めてみようと思う。

 

元々、色々と考えることが好きな性格なので、そういう日々つらつらと思うことや、趣味の映画のこと、おいしかったものや、感動したことなど、心が動かされたことを書きたい。

私が心を動かされたことを、相手にどう鮮明に伝えていくか、目を引く文章を書けるか、鍛えたい力である。笑

 

少し自己紹介をすると、22歳大学生。現在は、看護師国試に向けて勉強真っ最中である。

 

以上、最初の投稿。